石見銀山の建築物の中にたくさん取り入れられた石とは・・・
石見銀山に観光に訪れると、街の中にたくさんの石があることに気付きます。
その古めかしい石は何か石見銀山との歴史的関係がありそうなそんな予感がするものです。
今回はそんな石見銀山の歴史と石の関係について考えてみました。
資源豊かな鉱山がたくさんとれる町として成立した大森町、そしてその港と温泉町として栄えた温泉津の街並みは今では重要伝統的建造物群保存地区に制定されており、石見銀山の時代の名残を残しています。
そんな石見銀山の由緒ある歴史的な建物の街並みを歩いていると、歴史的建築物の土台や、整備をするにあたってたくさんの切石が使われていることがわかります。
石がそのまま使われている家屋もあり、歴史的な名残のある味わい深い光景を楽しむことができます。
なぜ石見銀山にはこれほどまでに石が残された町並みがあるのでしょうか。そこには石見銀山の豊かな資源と関係していることがわかったのです。
なぜ石見銀山は石がたくさんとれるのか・・・
石見銀山付近は日本列島の中では、日本海形成期の火山 活動にともなう凝灰岩類(グリーンタフ)が広く分布してところに位置しています。
このグリーンタフの地域では、約1500万〜2500万年前の海底火山が噴出した火山灰でできた凝灰岩が多く分布している地域のことをさします。
この凝灰岩は緑色を帯びることが多いことから、グリーンタフとよばれています。
実はこの凝灰岩は非常に石として利用されやすい性質をもっていることから石見銀山の地域の家々では次第にたくさん使われるようになり、歴史的な街並みにも石がたくさん取り入れられているのです。
凝灰岩は、とても軽く、加工がしやすいため住宅を建築する上でもかまどや、井戸などにかつて多く使われていました。
鉱山の街としては知られているようになった石見銀山ですが、生活の中にも鉱山としての地質の恩恵を受けて生活の中に根付いていることも、注目すべき点に違いありません。
石が取り入れられた歴史的建造物
石見銀山の寺社などに残る石仏や五輪塔、大森の羅漢寺にある「五百羅漢」も実はこの石が使われています。
これは温泉津で産出する「福光石」を用いたもので、現在でも採石がされています。
町を歩いていると、確かにたくさんの石が建物の土台として使われていたり、石の壁も家屋に使われているものも多くあります。
石見銀山とその周辺の町には「切り石の文化」があり、それは今も引き継がれている大切な伝統であるのかもしれません。