石見銀山とは・・・
石見銀山遺跡は、島根県の真ん中に位置し大田市の広い範囲に広がる遺跡のことを指します。
16世紀のはじめに神谷寿禎が発見したといわれており、日本で14番目の世界遺産に登録をされました。
なお、神谷寿禎は九州の博多の商人だったそうで、県外までかつそんな昔に地元でもないところで発掘をしたというから不思議ですよね。
石見銀山遺跡の範囲は大きく3つに分けられて評価をされており、「銀鉱山跡と鉱山町」「石見銀山街道」「港と港町」に主にわけられます。
石見銀山遺跡はかつて戦国時代から江戸時代にかけて多くの銀を産出した日本最大の銀山ともいわれていましたが、意外なことに日本人には知名度は低くかったのです。
しかしながらなぜ、世界遺産に登録されたのでしょうか。その石見銀山の魅力に迫ってみたいと思います。
地元の人たちの石見銀山への保全意識が世界遺産の登録へ
石見銀山は他に類をみない鉱山であると評価をされていたのですが、普遍的な価値の証明が不充分であるとの理由から登録が難しいという判断が下されていました。
しかしながら、政府や地元の住民の積極的によりに、様々な困難を乗り越え、登録を果たしました。
石見銀山にある歴史的な建造物は国をはじめとする地方自治体に文化財に指定されて守られてきた地元の人たちの涙ぐまし努力の上に成り立っている遺跡なのです。
石見銀山遺跡は「大森銀山遺跡」として県指定史跡に指定されています。
またこの大森の町並みは鉱山町としてまた港町・温泉町としてに重要伝統的建造物群保存地区に登録をされています。
地元の方たちも自然保護に対する意識の上にこそ成り立った世界遺産の登録といっても過言ではないでしょう。
それは石見銀山が世界遺産に登録されるにあたって、「環境に配慮し人と自然が共生しながら銀生産を実現させたこと」にもそれを象徴しているといえるでしょう。
石見銀山が世界遺産に登録をされたその理由とは・・・
産出された銀は、世界の物流を促し経済発展に大きく寄与しグローバルな範囲に影響をもたらしたことが第一の理由に挙げられます。
また石見銀山には工場と住宅が一体となったものが多く残されており、銀の生産から銀を商品化するまでの行程がすべてここ石見銀山で行われていたことも大きな評価をうけました。
石見銀山は周囲の森林を計画的に整備伐採を行い、それでは後世へと受け継がれる文化を守ろうとする住民の強い心がここにあるのです。
このような住民の努力の活動が世界遺産に登録をされるにあたり、評価をされたことはとても同じ日本人として誇るべきことでしょう。
銀が産出されなくなった今でも文化を守りぬく心はかたちのないものだからこそ、大切な私たちの財産なのかもしれません。