平泉の優美な世界遺産・金鶏山とは・・・
世界遺産に登録されているものには毛越寺や中尊寺などが主に知られていますが、実は少しマイナーながらも金鶏山という山も平泉の世界遺産として登録がされています。
この山を金鶏山『きんけいさん』と読み、円錐型の優美な山が印象的でもあります。
今回はこの少しマイナーな金鶏山についてご案内をして行きたいと思います。
金鶏山はどこにあるのか
金鶏山は中尊寺と毛越寺のほぼ中間に位置しており、東北自動車道平泉・前沢インターチェンジから車で約15分、鈴沢バス停から徒歩で5分のところに位置をしています。
金鶏山は、現在の平泉町の西側に位置しており、標高98.6メートル、山裾からは約60メートルの高さがあります。
金鶏山に残された伝説とは・・・
平安時代末期に栄えた奥州藤原氏が山頂に数基の経塚を築いた信仰の山として、親しまれてきました。
平泉を守るため雌雄一対の黄金の鶏を埋めたという伝説や、秀衡が一晩で造った人工の山、北上川まで人夫を並べ一晩で築いた山など様々な伝説が残されています。
これらの伝説は、山頂に営まれていた経塚から考えられたものとされていますが、経塚は初代清衡晩年から四代泰衡までの間に、最低9基は造られたと考えられています。
この金鶏山は平泉のまちづくりの基準となる山であり、シンボルでもあることが伺えます。
その昔、松尾芭蕉も平泉を訪れた際、「金鶏山のみ形をのこす」との言葉を残したようで、この山が昔からとても印象的で、平泉の信仰の山として親しまれてきたことが伺えます。
金鶏山の山頂からは平泉の全てを見渡すことができたことから、平泉の中心として意識をされてきたと考えられています。
つまり金鶏山は平泉を鎮護する神秘的な山として、平泉の基準とされ、無量光院は金鶏山を背景とする位置に造営されました。
さらに毛越寺は金鶏山から南に子午線引いたところを基準として造られています。
金鶏山からの出土品
「金の鶏が埋められている」という伝説からそれを掘り起こそうという動きが昭和初期に起こりました。
そして出土されたものが、銅製経筒、陶器の壺、かめなどが見つかり、現在は東京都国立博物館に保管がされ、多くは3代秀衡期のものと推定されています。
平泉の都市計画上の基準点として利用された金鶏山は、無量光院と一体的に平泉の宗教の世界を構成しており、国の史跡にも登録がされ、更には平泉の構成資産として世界遺産にも登録されました。
ぜひ平泉を訪れたら、歴史的な建築物はもちろんですが、ぜひ周囲の景色にも目を向けて金鶏山を見つけてみてくださいね。