モト旅行会社勤務が語る!日本の世界遺産の楽しみ方

平泉・中尊寺とは・・・

 

中尊寺は、天台宗の一山寺院として850年に慈覚大師円仁によって開山されました。

 

12世紀の初頭の1105年に、奥州藤原氏初代清衡公によって大規模な造営が着手され、江刺豊田館から平泉に本拠地を移したことがはじまりとされています。

 

初めに、多宝塔を建立し、次に二階大堂を建立したといわれています。

中尊寺建立の清衡の趣旨とは・・・

 

清衡公の中尊寺建立の趣旨は、実は清衡の慈悲深い心があらわれているのです。

 

それはこの11世紀後半に続いていた戦乱でたくさんの人達が犠牲となり、亡くなったという悲しい歴史があります。

 

実は中尊寺の建立にはこのたくさんの霊をなぐさめ、それは敵味方分け隔てない広い心を象徴しています。

 

それはみちのくとよばれる場所に仏教世界を建立するという意図があり、これは仏教の教えに基づく理想的な世界を意味しており、その意思表示の表れでもありました。

 

それは清衡自身も親族を戦乱の中に失ったという自分自身の人生にも重ねているのです。

 

戦争のない理想の社会をつくりたいという清衡の想いが込められているのでしょう。

 

またこれは平泉が東北地方の中心であることも暗に示すものでもありました。事実、中尊寺は北緯39度と文字通り東北地方の中心に位置していました。

平和な世界を願う清衡と中尊寺

 

清衡は、次々に大伽藍を建立し1124年に金色堂を完成させました。

 

これは、七宝珠玉が贅沢につかわれていて、柱や須弥壇には金銀珠玉がちりばめられているおり、まさに往時の技術の最高峰の傑作ともいえるでしょう。

 

1126年には主要な堂塔が完成をしました。

 

最も清衡が勢力をあげていた時期には40にも及ぶお堂や塔などがあったといわれています。

 

主要な堂塔が完成した際の行事では、戦争のない理想の社会への切なる思いを読み上げたのだとか。

 

その2年後、清衡は亡くなり金色堂に葬られました。

 

金色堂の中にある須弥壇の中には、初代清衡、二代基衡、三代秀衡のご遺体と秀衡の側に4代泰衡の首級が納められています。

 

壇上には本尊阿弥陀如来を中心に、黄金に輝く33体の仏像が安置されており、まさにここは往時の時代に生きた人達の魂が眠る神聖な場所に違いありません。

 

残念がなら清衡の想いにもかかわらず、今でも痛ましい戦争は繰り返し起きています。

 

約1000年も前に中尊寺にこめた清衡のメッセージを私たちは中尊寺を訪れたら耳を傾け、中尊寺の外観の美しさだけではなく、そこに眠る魂の想いにも目を向けていかなければならないのでしょう。