広島の街にとって欠くことのできない広島電鉄
広島駅から広島の原爆ドームへアクセスするのに、欠かせない交通手段が広島電鉄です。
広島ドームのあたりには駐車場があまり充実していないため、広島電鉄でアクセスした方が確実といえます。
この広島電鉄はどこか懐かしく、周囲の景色はどんどんと開発されていくのにもかかわらず、それに左右されることもなくマイペースにコトコトと広島の街を走る広島電鉄は、はじめて乗る人にも親しみやすい電車です。
今回はそんな広島電鉄の魅力と歴史に迫ってみました!
広島電鉄の歴史
実はこの広島電鉄は原爆が投下される前から走っているとても歴史のある電車なのです。
広島の路面電車は、広島電鉄株式会社の前身である広島電気軌道株式会社によって、大正元年から走り続けており、2013年で100年を超す歴史のある電車となりました。
明治末期に、広島城の堀を埋めたてる整備をすることになり、電力会社で有力は起業家であった東京の松永安左衛門が「広島電気鉄道株式会社」を設立したことが、その会社のはじまりとなりました。
そして広島城の堀を埋め立てるにあたり、広島市は道路と路面電車の両方が建設された方が広島の街の発展につながると判断し、路面電車をつくる計画がはじまりました。
当初は、広島駅〜相生橋間、紙屋町〜御幸橋間と八丁堀〜白島間だけでしたが、次第に宇品線や宮島の方にも伸ばしていき、広島電鉄を拡充していき、人々の生活になくてはならない存在として成長をしていきました。
原爆投下と広島電鉄
昭和20年8月6日、誰もが忘れることのできない原子爆弾が広島に投下され、広島電鉄も大変な打撃をうけたといいます。
広島電鉄は車両123両中108両が被災し、河架線などもほとんどが破壊をされてしましました。
しかしながらこの原爆投下に負けることなく、すぐに広島市や軍と協力をして復旧作業を行い、原爆投下からわずか3日後には己斐〜天満町間で電車が復旧し、多くの市民を勇気づけたそうです。
しかしながら、その1ヵ月後に台風によって、橋が破壊されるなどの被害を受け、戦後の混乱の中において全力で復旧に取り組んだといいます。
そして今度は戦後の復興の時代になると、急激に増えた輸送需要に対して、対応しきれず電車の中は常に混雑をしていたそうです。
そんな混乱も乗り越え、昭和24年に広島電鉄はほぼ全面復旧を果たし、それ以来戦後の高度経済成長期を見守ってきました。
平成9年には新型の直通車両3950形を一挙投入して、広島電鉄は技術やサービスは時代とともに成長を遂げています。
しかしその新しい技術力の中にも、懐かしさをしたため、いつでも暖かく迎えてくれる電車が広島電鉄であり、そこに広島電鉄の魅力が隠されています。
ぜひ広島の観光に行くのであれば、この広島電鉄に乗って、のんびり広島の街を散策してみてくださいね