平和記念公園の中にあるたくさんの折鶴
原爆ドームのある平和記念公園にはたくさんの平和を願うシンボルともいえる、モニュメントやお花、銅像そして折鶴などがあります。
今回はそれに込められた想いについて考えてみたいと思います。平和記念公園の中を歩いていると、たくさんの色鮮やかな折鶴をいたるところで目にします。
地元の小学生から折られたものや、有志の方たちによって提供されたものなど様々あります。
雨に濡れないように透明のガラス張りのケースの中に入っているものなど、平和を願うひとたちのシンボルは大切に保管がされています。
実はこの折鶴が平和と結びつけて考えられるようになったのは、当時2歳で被ばくをし、その10年後に白血病で亡くなった佐々木禎子さんが大きくかかわっています。
佐々木禎子さんとは・・・
2歳のときに被爆しその当時は元気に成長をしていきましたが、11歳の時に、突然病に苦しみ、白血病を発症し12歳という短い生涯を閉じました。
この佐々木禎子の死をきっかけに、原爆で亡くなった子どもたちの霊を慰め平和を築くための像をつくろうという運動が始まりました。
そして原爆ドームのある平和記念公園の中に完成したのが『原爆の子の像』です。
次第にこの話が日本国内だけではなく、世界各国に広がり、そして今も「原爆の子の像」には日本国内だけではなく、世界各国から折鶴が届けられています。
それは折鶴の数は年間約1千万羽、重さにして約10トンにものぼるといわれ、戦後70年たったいまでもこうして、折鶴に平和への祈りが込められていることはとても日本国民にとっても嬉しいことです。
こうして折鶴は平和のシンボルとして、いつしか親しまれていくようになりました。
広島市の折鶴への運動と平和への想い
広島市では、折鶴を「原爆の子の像」へ捧げるために遠方に住む人達からもその想いが届くようにと郵送でも受けつけをしています。
折鶴を捧げる日は広島市にお任せになるそうですが、折鶴の色やかたちなどは常識的なかたちであれば特別に指定はないそうです。
また、送った人の名前やメッセージなどは「折鶴データベース」に希望があれば登録が可能です。
遠方に住んでいたり、高齢でなかなか足を運べない人たちにも、同じように平和への想いをつなぐ折鶴は、きっと原爆で亡くなった方の供養になるに違いありません。
平和記念公園にあるたくさんの折鶴は、日本だけではなく、世界各国の平和を願う気持ちが一つになったまさに平和へのシンボルでもあります。
たくさんの方のご冥福と、そして平和であり続けるように、わたしたちがしっかりと次世代にこれを繋いでいかなければならない使命さえ感じるものです。