姫路城の仕掛け・狭間とは・・・
姫路城には、戦に打ち勝つための様々な仕掛けがあります。
その中でも狭間とよばれる仕掛けは姫路城には多く残されています。
今回はそんな姫路城の狭間についてご案内をして行きたいと思います。
そもそも狭間とは一体何なのでしょうか。
これは『はざま』ではなく『さま』と読みます。
主に城郭の天守やその壁面、塀などに開けてある穴のことを指します。
この穴の形は様々であり、内側から外側に向かって丸型、三角形、四角形などの窓穴のこと差します。
これは姫路城だけではなく、彦根城などにもこの手法が取り入れられています。
この狭間の目的と意義について考えていきたいと思います。
狭間の形状とは・・・
姫路城の形状は主に利用する武器で分類がされていたと考えられています。
主なものは矢狭間、鉄砲狭間、大砲狭間などに分類がされています。
そして機能に応じて武器や形状を分類をしていた工夫には驚かされます。
例えば、弓矢ならば縦長、鉄砲ならば丸形や三角形というように、武器に応じてその形状を使いわけていました。
姫路城の狭間の数とは・・・
姫路城は鉄砲狭間が2,500〜4,000ヶ所あったと考えられえており、これはいざ戦闘となったときにどれほどの人数が活動できるのかという数にも関わってくるため数が多いほど、戦力も大きくなっていくことは言うまでもでもありません。
つまりこの数から、戦時下において最大で4千人もの鉄砲隊が活動できるよう想定して作られていたことがわかります。
これは姫路城がいつでも籠城戦いとなったときにでも、敵に向かって戦えるように常日頃からそれを備えていたことが分かります。
実は姫路城の鉄砲狭間の数は、松本城の35倍もの数になるとされ、どれほどまでに姫路城がその財力と兵力を持っていたのかということがわかります。
姫路城の戦を勝ち抜くための狭間
姫路城には少しユニークな隠し狭間とよばれるものがありました。
これは普段は漆喰によって窓が塞がれていて、城壁の同じ色であることから一見すると外からは壁にしか見えない仕組みにカモフラージュされています。
しかし敵がいざ攻めてきたときには漆喰を内側から突き破って、城内から敵を攻撃することができるのです。
そのためできるだけ死角を減らすために門の配置などや構造にも工夫がされ、できるだけ広い範囲をみることができるようにお城も設計がされているのです。
これは三重県にある彦根城にもこの戦法が取り入れられており、科学的な技術がなくても、知恵と工夫で籠城戦にも耐え抜くことができるように工夫がされている姫路城には改めて感心させられるものです。