姫路城の歴史のはじまりとは・・・
南北朝時代の武将・赤松貞範がはじまりとされ、室町時代の確立に尽力を尽くした人物として知られています。
姫路城の基礎である城を築いたといわれ、姫路市などはこの説を有力しています。
ただ姫路城というには相応しくなく、砦のような小さな規模であったといわれています。
そのため1500年代前半の戦国時代後期に力を持っていたとされる黒田重隆によって改築されたという説もあります。
姫路城の歴史に残る諸説
黒田重隆は現在の福岡に在住をしていましたが、その後姫路の神社で目薬を売り勢力をつけていき、のちに竜野城主赤松政秀に仕え姫路城の城代となりました。
黒田重隆が姫路城の城を築いたという説と、姫路城の改修をしたといわれる諸説あります。
姫路城の歴史に残る人たち
その後に歴史的著名な人物でもある豊臣秀吉が居城して、さらに姫路城の規模は拡大をしていきました。
天正8年(1580年)に豊臣秀吉が3層の天守閣をもつ城郭に改修し、姫路城はますます勢力を増していきます。
その後関が原の戦いで、勢力を上げた池田輝政が入城後し、姫路城の改修を開始しました。
徳川家康による姫路城の大改修
その後歴史的に姫路城が大きく変貌を遂げるのが、徳川家康の命令による大改修です。
関ヶ原の戦いの翌年、1601年から8年の歳月が費やし、一説によると4千万人もの人員より今の姫路城へ大改修が進みました。
これは姫路城の歴史の中でももっとも大きな改修です。
豊臣秀吉の築城した3層の天守閣は取り壊し、現在の5層7階の天守となりました。
池田輝政から本多忠政へと城主が代わり1618年には西の丸が整備されました。
こうして姫路城はようやく現在の様な姿になりました。
3つの小天守からなる日本で唯一の連立式天守といわれ、その美しさは人々を魅了し、白鷺宮とも言われています。
姫路城は歴史的変遷とともに歩んだ文化財
姫路城は、安土桃山時代から江戸時代にかけて、様々な城主の変遷とともに、誇り高い技術力は、歴史背景の軍事力とも重なりあいながら完成した傑作です。
その美しい姫路城は1993年に法隆寺とともに日本で初の世界文化遺産にとして登録をされました。
長い歴史を歩んできた中でも大きな戦争や火災などからも難を逃れ、終戦間際の空襲をも免れ、その生命力さえも、日本の誇るべき財産といえるでしょう。
現在は姫路城の大天守保存修理工事がなされており、平成21年度から着工し、平成26年度までを予定しています。
長い月日に渡る工事ですが、新しい姫路城に会えるのもまた楽しみなものです。