法隆寺の夢殿とは・・・
法隆寺東院にある正堂に、八角の円堂の形をした建築物があります。
法隆寺が壮大なスケールが故にそれが少し小さく感じてしまうほどですが、これは夢殿とよばれる建物のです。
東院伽藍の中心的存在でもある夢殿は、中門を改造した鎌倉時代の礼堂と廻廊に囲まれており、北面には絵殿及び舎利殿が建っています。
実は一度は643年に蘇我入鹿によって焼かれてしまいますが、現在ある夢殿は天平時代の建立とされ、瓦ぶきの屋根は創建当時のまま残されています。
これは聖徳太子の遺徳を偲んで造立されましたもので、つまり聖徳太子の供養塔でもあるのです。
夢殿とは『ゆめどの』と読みすこしユニークな名称が印象的ですが、これは聖徳太子が、夢の中で金人(仏)に出会ったという伝説から名づけられたのだといわれています。
法隆寺の夢殿はなぜ八角なのか
よくみるとこの夢殿は八角をしており絶妙なバランスをとっています。
八角とは何か深い意味がありそうですが実はこれ、中国の八方位陰陽説から来ているものといわれ、八角形はその角をつないでいくと、非常に円に近いかたちとされ、縁起がよいかたちと考えられているからなのだとか。
そのためこの八角の円堂は、法隆寺のみならず、興福寺北円堂、栄山寺八角堂などに代表されるように、個人の菩提を弔うための建築物として8世紀以降のものに多くみられるようになりました。
秘仏の国宝である「救世観音像」は八角円堂の中央に安置されています。
長い間公開されることはなかった時代もありましたが、明治17年にフェノロサが白布を解いてから、現在では春と秋にその姿がみられるようになりました。
法隆寺の夢殿の建築技術とは・・・
聖徳太子一族が滅亡してからは、斑鳩宮は荒れた状態になっているのを、739年に高僧の行信僧が太子の遺徳を偲び、斑鳩宮跡に飛鳥時代の形式で建立した東院を創建したことがそのはじまりとされています。
もともとは「仏殿」と呼ばれていましたが、平安時代頃から「夢殿」と呼ばれるようになりました。
実はこの夢殿は平安時代に屋根の勾配をきつくするなどの大改造を行っています。
平安時代にそれまでの単層の屋根から二重にする工夫などに発展をしていきました。このように工夫をすることで、雨の多い日でも水はけを良くする効果が生まれ、するため屋根勾配をきつくしても軒先が下がることなく、内側の屋根は緩やかになる効果もあります。
そのため、外側の屋根の形状に関わらず、屋根の内部の部屋の設計も自由にできるのです。
夢殿の込められた深い技術力にはまさに感心してしまいます。ぜひ法隆寺の静かな印象のある東院伽藍をも訪れて、夢殿をじっくり見学をしてみてくださいね。