法隆寺金堂壁画とは・・・
法隆寺の金堂はどこか重厚感のある佇まいと、その歴史を感じさせる建物が訪れる者を魅了してやみません。
実は法隆寺の金堂はその外見だけの美しさだけではなく、実はその内部にもインド・アジャンター石窟群の壁画、敦煌莫高窟の壁画などとともに、アジアの古代仏教絵画を代表する作品の1つとして日本の誇るべき財産でありました。
しかしながら法隆寺金堂壁画は1949年の火災によって焼失してしまいます。
今回はそんな法隆寺の金堂に描かれていた法隆寺金堂壁画とその少し悲しい歴史について考えていきたいと思います。
法隆寺の金堂の内部に施された壁画は7世紀末頃の仏教絵画です。
あまり歴史な資料が残されていないことから、その作者はわかってはいません。アジアの古代仏教絵画を代表する作品の一つでしたが1949年の火災によって焼損してしまいました。
法隆寺金堂壁画の歴史的価値
法隆寺金堂壁画のその高い芸術性は、明治時代からすでに認識がされていました。
明治初期にはフェノロサや岡倉天心らによってこの法隆寺金堂壁画は日本の美術の真髄であると賞賛がされていました。
そのころ日本でも文化財の保護について関心が集まりはじめていた時代でもありました。
そして法隆寺金堂壁画についても壁画の劣化などをいかに防いで後世に伝えていくかは、当時から課題となっていました。
昭和時代の法隆寺金堂壁画
1940年(昭和15年)から、法隆寺の大修理の一環事業として、壁画の模写事業が開始され、当時の一流の画家たちによって壁画の模写事業が開始されました。
しかしながらそんな最中に、1949年(昭和24年)1月26日未明に不審火により、金堂火災で壁画の大半が焼失してしまったのです。
そのため当時の一流の画家たち制作をした模写は、往時の法隆寺金堂壁画を伝える貴重な資料となり、それがあったからこそ後世にその文化的価値を伝えているといっても過言ではありません。
法隆寺金堂壁画の歴史的な焼失から生まれたこと・・・
法隆寺の壁画の焼失をきっかけに文化財保護法が制定され、法隆寺金堂壁画が焼失した1月26日は「文化財防火デー」と定められ、日本全国の神社やお寺で防火訓練などが行われています。
法隆寺金堂壁画が焼失してしまったことは、その芸術的高さの上に非常に残念なことではありますが、私たちはこれを教訓に後世へその価値を伝えていくとともに、今残されているまた歴史的価値のあるものに対しても大切に守っていく使命こそ感じるものです。