歴史的に価値のある法隆寺金堂壁画
法隆寺金堂壁画は昭和24年に不審火によって、その大半が焼失してしまいその歴史的価値のあるものがなくなってしまったことは非常に歴史的にも悲しい出来事です。
しかしながら明治時代にはいってからその歴史的に価値の高い法隆寺金堂壁画を保護しようとする機運が高まっていたため、一流の画家たちによって模写されていたためそれは非常に貴重な資料となって、当時の面影を現代に伝えています。
それではなぜこれほどまでに法隆寺金堂壁画は歴史的価値のあるものとして、叫ばれているのでしょうか。
今回はそんな法隆寺金堂壁画の隠れた魅力に迫ってみたいと思います。
法隆寺金堂壁画が見本にしていたものとは・・・
法隆寺金堂壁画と並んでアジアの傑作といわれているのが、インドのアジャンタ石窟寺院の壁画であり、これを模して法隆寺金堂壁画を制作したといわれています。
それを象徴するかのように、中国や朝鮮半島にも似た壁画があることから、恐らくインドから中国や朝鮮半島を経由して、日本に伝わったと考えられています。
このアジャンタ石窟寺院とはインドのデカン高原にある8世紀間に渡って掘られた、インド最大の仏教寺院群のことをさします。
全部数えると大小30にも及ぶたくさんのアジャンタ石窟寺院は、インド仏教の誕生から衰退までを物語っているといわれています。
法隆寺金堂壁画に影響を与えた蓮華手菩薩とは・・・
法隆寺金堂壁画の源流ともいわれているのが、蓮華手菩薩と呼ばれる壁画です。
菩薩の大きさは、人の身体の大きさくらいあり、右手には蓮の花が一輪に飾られています。
それは諸説ありますが、軽く曲げられた腰や、手の挙げ方の角度、少し伏し目がちの目などの特徴が非常によく似ているといわれています。
これは平安遷都よりも前の白鳳時代に、すでに日本に密教美術が伝えられていたことを象徴しています。
当時インドから中国、そして、日本の3ヵ国の、当時の芸術的な文化の高さと、それぞれの各国の文化的交流を今につたえています。
法隆寺金堂壁画の今とは・・・
法隆寺金堂壁画は焼失されて以来、焼け焦げてしまったもとの壁画は法隆寺の中にある大宝蔵殿の隣の収蔵庫に、大切に保管がされています。
現在は法隆寺金堂壁画は非公開となっているためその様子を伺うことはできないが、現在は一般公開も検討されているのだとか。
いつか法隆寺金堂壁画に描かれた往時の想いや世界的な文化的交流の爪痕を見れる日もそう遠くはないのかもしれません。