モト旅行会社勤務が語る!日本の世界遺産の楽しみ方

歴史的な解明が発展途上の白川郷

白川郷

 

現在では世界遺産に登録をされ、たくさんの観光客で賑わいをみせている白川郷ですが、実はその歴史はたくさん謎があり、あまり解明されていないことも多々あります。

 

白川郷のその歴史はすでに六〜七千年前から先住民族が住んでおり、白川郷には狩猟や農耕生活などをしていたことが発掘された石器や土器などから推測されています。

 

あまり歴史的な書物が残されていない白川郷ですが、近年の発掘調査によって少しずつその歴史も解明されつつあります。

 

今回はそんな白川郷の歴史について考えてみたいと思います。


白川郷に関するもっとも古い記録とは・・・

白川郷

 

白川郷には発掘調査による、先住民族が生息していたことはわかっていますが、なぜこの深い谷間、そして豪雪地帯にいつごろから人が住んでいたのか詳しいことはわかってはいません。

 

 

そしてどのような歴史変遷をたどって今日に至ったのかは、あまりにも不明な点が多いのもまた事実です。

 

最も古い記録は奈良時代の文献に、馬狩村の出身者と思われる名前が残されていること、また源平合戦の時代において、戦いに敗れた平氏の落ち武者が白川郷に住みついたという歴史的な記録がありますが、真意は定かではないのだとか。


白川郷が歴史に登場する鎌倉時代

白川郷

 

白川郷がようやく歴史に登場するようになったのは、鎌倉初期の1253年に親鸞聖人の弟子である嘉念坊善俊上人が庄川沿いに浄土真宗を布教してからです。

 

善俊は四十歳で白川郷海上村を回って、浄土真宗の布教活動をするようになり白川郷に定住していきました。

 

白川郷の鳩ヶ谷に道場を構えた善俊は熱心に教えを説き、農民たちの間に浄土真宗が広まります。

 

そして二代目善隆が誕生し、さらに浄土真宗は飛騨や美濃の方面まで広がりをみせていきました。

 

こうして考えると浄土真宗の布教とともに白川郷は歴史的にも文献が残り、歴史的変遷において宗教活動が多いにかかわっていたことがわかります。

 

善俊上人の熱心な布教活動はきっと白川郷の山里に暮らしている貧しい人達の支持を得たに違いありません。

 

かつて天台宗門徒であった農民は次々に、真宗門徒に改宗をしていったとされていいます。

 

善俊上人の教えの中にある阿弥陀如来の本願と慈悲深い心は、白川郷の農民の絶え間ない信仰を得ることができました。

 

第三世善教の時代に入ると、その道場ははじめて寺院の形式を構えるまでに大きくなっていきました。

 

白川郷が歴史的に登場する時代には、大きく浄土真宗の普及活動があったことは非常に注目すべき点です。