白川郷から高山まではますます便利に
白川郷の観光と是非一緒に訪れたい場所があります。
白川郷から車で約1時間で飛騨高山に到着します。
白川郷ほどの豪雪地帯ではありませが、やはり岐阜県の山深い景色がありながらも、にぎやかな街並みが観光やグルメに様々楽しめる街です。
白川郷からは東海北陸自動車道の道が白川郷ICまで開通したことにより、白川郷から高山から車で40〜50分で行くことができるようになりました。
飛騨高山は年間140万人が訪れる人気の観光スポットですが、今回はそんな中でも飛騨高山のハイライト、高山陣屋についてご紹介していきたいと思います。
高山陣屋とは・・・
高山陣屋は飛騨高山の屈指の観光スポットであり、高山城主金森氏の下屋敷の一つとして知られています。
その後徳川幕府の直轄地となり、江戸から代官や郡代がきたことにより高山陣屋は江戸幕府の郡代所として、今でいう役所として飛騨の政治を執り、行政・財政・警察などの政務を行っていました。
役所は「高山陣屋」とよばれ、いわゆる『おふれ』を出したり、今でいう税金である年貢などの取り立てなどもしていました。
直轄地時代は、明治維新がはじまるまで177年間続き、往時の面影を今に伝えています。
明治時代にはいってからは地方の役所として使われてきました。
郡代の役所の建物が残っているのは、全国的にみても飛騨高山だけなのだとか。
貴重な建物は今にその当時の様子を伝えています。
高山駅から歩いて10分ほどの場所にあり、高山の朝市を楽しんだ後の観光にもおススメの場所です。
どっしりした門構えが見えてきたと思ったら、それが高山陣屋であり、全国的にも貴重な歴史のある建物はぜひ訪れていただきたいスポットです。
往時の面影を伝える高山陣屋
高山陣屋には徳川幕府の直轄地として、役所、役宅、高山城三の丸から移した米蔵などが、ほとんどそのまま残されており、正面壁には、郡代の格式の象徴ともいえる青海波の模様が残されています。
一方で、当時の時代背景をも残しています。
例えば門の扉に残るしみは騒動で農民に殺された門番の血痕といわれています。
また当時大原騒動とよばれるで、打ち首の刑に処する農民が、妻へ送った遺言状なども資料や年貢に関する資料なども展示されていました。
高山陣屋は役所として、町を整えながらも、時には厳しく処罰などをしていたこともうかがえます。
是非今の飛騨高山の歴史を一層知りたい方にはおススメのスポットです。
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