平清盛とは・・・
今日厳島神社のその美しさは、平安時代の一人の男性によって築かれました。
今から800年もの昔にこの海に浮かぶ美しい厳島神社を造営したことは、当時の技術力の高さとそしてその偉業の奥深さを示しています。
今回はそんな厳島神社の造営までの過程、そしてその偉業を成し遂げた平清盛について考えてみたいと思います。
平清盛は厳島神社において関わりの深い人物とされ、厚く厳島神社を信仰していたといわれています。
そんな平清盛に転機が訪れたのが、29歳で安芸守としての任務を任され、瀬戸内海の制海権を手にいれることで、ますますその勢力を増していきました。
厳島神社の造営のはじまりは宮島の豪族であった佐伯鞍職とされていますが、現在のような美しい厳島神社に改築したのは平清盛です。
平清盛は夢の中で「厳島の宮を造営すれば、必ずや位階を極めるであろう」というお告げを聞いたことがきっかけとなり、厳島神社の造営をはじめました。
平清盛にとって、自分の信仰の厚い場所で、その神殿作ることができるのはきっと嬉しくその使命に燃えていたに違いありません。
平清盛の造営
今のように科学技術もない時代にどのようにして造営を進めていったのでしょうか。
ここ厳島神社が造営される前より100年もの前に、京都の宇治平等院鳳凰堂が造営されており、技術的には可能であったと考えられています。
海上の厳島神社を造営することは、非常に難しいことであったと思いますが、ここは瀬戸内海の穏やかな場所であり、比較的波の影響が少ないという意味では恵まれた場所でもありました。
瀬戸内海の穏やかな海と、湾内に厳島神社が位置をしていること、そして厳島神社の背後には弥山があり、これが強い風を遮断してくれる役割を果たしてくれました。
そのためこの比較的恵まれていた土地が、莫大な資金がなくても厳島神社の造営が可能であったことの一つと考えられています。
人々に愛された平清盛
安芸守任官が縁で平清盛はこの地に厳島神社を造営し、それは平安時代を超えた今でも日本人の原点をも垣間見れる社として親しまれています。
島の人々からの愛着も深かったことから、1954年には清盛の霊を祭った清盛神社も創建されました。
平清盛を祭神とする神社で、厳島神社の末社で、平清盛の命日である3月20日には「清盛神社祭」が開催されています。
平清盛がいなければ、こうして美しい厳島神社をみることができなかったと思うととても感慨深い気持ちになります。
今から800年もの前に造営された厳島神社がこうして、世界遺産に登録をされますます注目をされるようになったことは、きっと平清盛にとっても喜ばしいことであるに違いありません。
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