遺言によって造られた大猷院
日光にある輪王寺大猷院は、日光東照宮を訪れたらぜひ一緒に見学をしたいところの一つです。
大猷院とは江戸幕府三代将軍徳川家光が死後、後光明天皇から賜った法号のことを指します。
そのため輪王寺大猷院とは、家光の法名でもあります。
1651年に家光が死去すると、その遺言を忠実に守って大猷院がつくられました。その遺言には「死後も東照大権現(初代将軍徳川家康)にお仕えする」という、なんとも家康への忠誠心があらわれたものであったといわれています。
そして遺言に従って、日光東照宮の近くの埋葬することになり、東照宮よりも上回らない控えめな規模で造られました。
4代将軍家綱は酒井忠勝に命じて、大猷院の造営を着手し約1年2か月余りで完成をさせました。
日光東照宮とは異なり、施されている彫刻や色使いも控えめでありますが、遺言を忠実に守ってことがここに象徴されています。
色彩も東照宮が白色と金色を基調にしているのに対して、大猷院では赤色と金色を基調としています。
それでも往時の技術力の高さには感銘を受けるものです。
そして注目したいのがこの大猷院への門についてです。
大猷院の門
大猷院への門へはまずかなり勾配が急な階段を上っていきます。
この門を夜叉門といい、やしゃもんとよみ、1653年に建てられたものです。
東照宮でいえば陽明門にあたるのがこの輪王寺大猷院の夜叉門です。
朱色と金色を兼ね備えており、屋根は陽明門と同じように正面には軒唐破風がついており、切妻造となっています。
この門がなぜ夜叉門とよばれるのかというと、毘陀羅、阿跋摩羅、鍵陀羅、烏摩勒伽といった武器を携えた色彩豊かな夜叉が門を守っているところからこの名前がつけられたそうです。
この4体の夜叉はそれぞれ東西南北を表しているのだとか。
夜叉門が大猷院の中で家光廟への祈りと鎮護の役割を果たしていることが伺えます。
また夜叉門は、装飾がすべてボタンの花で統一をされ、牡丹唐草の彫刻が施されていることから、牡丹門ともいわれ、大猷院夜叉門は国指定重要文化財に指定されています。
大猷院のさまざまな門をくぐりぬけて
入り口の「仁王門」にはじまり、家光公墓所の入り口に当たる「皇嘉門」まで様々な門があります。
それぞれが一つの区切りであり、その家光への鎮護の役割を果たしているに違いありません。
門をくぐりぬけていけばいくほど、神聖な気持ちが生まれてきて、その厳かな雰囲気の中に眠る家光に、鎮護の気持ちが芽生えてくるから不思議なものです。
夜叉門をはじめとする技術力の高さはもちろんのこと、その雰囲気さえもが往時と変わらないが重厚で落ち着いた空気がここには確かにあるのです。
是非大猷院の門をくぐるときには注意深く観察をしてみれば、それぞれのよさと役割が理解できると一層日光の魅力を再発見できるに違いありません。
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