唐と律令国家からみる遷都の理由
古都奈良の文化財は、東大寺や春日大社、興福寺や薬師寺など歩いて散策すればたくさんの世界遺産に出会えることも、奈良の世界遺産の魅力ともいえます。
今回は役所の特別な遺跡でもある平城京跡についてご案内をしていきたいと思います。
そしてなぜ奈良のこの地に平城京跡は遷都をされたのでしょうか。
様々な諸説とともに奈良・平城京の遷都について考えてみたいと思います。
平城京は710年に遷都され、それ以来80年の間、律令国家の日本の都を支えた重要な拠点でありました。
なぜこの地に遷都をされたのかといえば、その一つに遣唐使との深い関係があります。
669年以来途絶えていた遣唐使が702年に再開をされました。
そのため律令国家の構築を目指していた朝廷は、唐風とは少し異なる雰囲気のある藤原京に対して、唐風の新しい都を建立する気運が高まっており、新しい都の建設に迫られていたことが、遷都をする上で大きな理由と考えられています。
また唐を向き合える国家をつくろうとしていたため、都へ向かう直線道路の整備などを推し進めたいという意図も遷都をする理由として考えられています。
旧勢力と遷都の理由とは
また飛鳥を中心とする旧来の豪族勢力がまだ強かったため、律令国家を目指していた時代において、律令政治が行いづらい環境にあったことも遷都の理由の一つとしてあげられます。
当時権力を拡大していた藤原不比等などを旧来の勢力から切り離す意図もありました。
そのため飛鳥の地から離れた奈良の地へ選んだこと、さらにここ奈良の地は壮大な平城京を造営する上で、都市の排水などの環境が整備しやすく、その利便性からここ奈良の地を選定したとも考えられています。
立派な都・平城京をつくることの意義
壮大なスケールを誇る都をつくることは、人々に対してもその権力をみせつけ律令国家として整備がしやすいと考えられていました。
人々が支配されることで、一歩引くことで、国家としても統一を図りやすいと考え、広大なスケールの都・平城京を遷都したとも考えられています。
都を訪れた際に、その重厚感のあるつくりをみて圧倒され、支配に従うようにという意図と、更には外国との交流に際してもすばらしい平城京をみせることで、天皇と国家の威厳を示すことを意図していました。
結果的には平城京は784年に長岡京へと移されてしまいますが、平城京の遷都の意図を理解していると、訪れた時にきっとたくさんの発見があることでしょう。
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