奈良・平城京は広大なスケール
奈良県にある平城京は、特別史跡であり、また1998年に世界遺産「古都奈良の文化財」の構成資産の一つとしても登録されています。
世界遺産、平城京ができたのは西暦710年で、今から約1300年前に造られた都です。
平城京を中心に栄えていた時代を奈良時代といい、律令国家としての仕組みも確立していった時代でもあります。
なんといってもこの広大なスケールには驚かされます。
実はこの広大なスケールは、東西4.3km、南北4.8kmの長方形の東側に、東西1.6km、南北2.1kmで、総面積は2,500ヘクタールというから驚きですよね。
平城京の中でも注目したい大極殿
平城京の中でもっともメジャーな観光地として是非足を運びたいのが、第一次大極殿とよばれる場所です。
大極殿は東西44メートル、南北約19.5メートル、朱色の赤い柱がとても印象的で、周囲が広大な平地なこともあり、まるで空に近い天空の御殿のような構図を楽しむことができるのです。
大極殿には無料で入ることができるので、大極殿の中からの景色は絶景なのでぜひ立ち寄ってみてください。
少し高台に位置しているので、雲に届きそうな錯覚を味わうことができます。
平城京のあった奈良時代の名残りを残しながらも、周囲には高層ビルや電車などが走る現代社会が交差する光景が、とても面白く、写真スポットにもお勧めです。
大極殿は朱色の柱44本、屋根瓦約9万7000枚を使った、平城京の中でも最も大きい宮殿であり、国の重要な儀式などはここで行われていたといわれています。
大極殿の技術力の高さを見つけよう!
大極殿の一番上には金色をした鴟尾(しび)とよばれるものがあり、これはぜひ注目したいものの一つです。
鴟尾は大極殿では、実は発掘調査の結果、出土はしていません。
大極殿復原に際して、困難を極めたのが、奈良時代の設計図や図面、参考となるような絵画などが残されていなかったことなのです。
しかしながら奈良時代の格式の高い建物には通常、鴟尾をのせていたので、もともとなかったとは考えにくいことから、鴟尾が金属で作られ、溶かされて再利用されなかったため残らなかったと考えられています。
当時の時代背景などから、鴟尾も復原されたのですね。
今でも格式高いものには金色が使われるように、この時代にもそれが重宝され、大極殿の一番上に鴟尾が置かれていたことを思うと、奈良時代の技術力の高さと威厳が伺えます。
大極殿での高貴な色使いから読み解く往時の時代
また平城京の中でもう一つ注目したのが、大極殿内部の玉座で、政務・儀式にあたった天皇が着座した場所で、金色、紫色、朱色・・その高貴な色使いから往時の様子が目に浮かんできます
。
大極殿の広場の前では毎日13:00〜13:20の間に衛士隊の再現があるので、まさに奈良時代にタイムスリップしたような気分を味わうことができるので、ぜひこちらにも注目してみてくださいね。
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