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東大寺の南大門とは・・・

東大寺南大門

 

東大寺を訪れ、最大のハイライトである大仏を見に行こうと大仏殿へ足を運ぶべく通る門は南大門です。

 

その壮大なスケールには心を奪われるほどの力強さ、東大寺の歴史を見守ってきたその誇りさえも感じる光景です。

 

その南大門を通ってみると、中に大きな仁王像がいることに気づくことでしょう。

 

現在の南大門は1199年に上棟し、1203年に安置された金剛力士像とともに竣工した我が国最大の山門であり、東大寺の中で唯一現存する鎌倉時代の建築様式を残しています。

 

災害で倒れてしまった南大門を再建したのが、重源であり、宋から伝えた「大仏様」や「天竺様」ともいわれる建築様式を取り入れています。

 

今回はそんな東大寺の金剛力士像について考えてみたいと思います。


東大寺の金剛力士像をつくった人物とは・・・

東大寺南大門

 

東大寺の南大門の金剛力士像は鎌倉時代の大仏師である運慶、快慶によって造られました。

 

南大門には右に吽形像、左に阿形像が向かい合う形で安置されており、通常の配置とは逆のものとなっています。

 

阿形像は快慶、吽形像は運慶が中心になって造ったといわれています。

 

1988年から5年間かけて行われた解体修理において、金剛力士像の中から出てきた納入文書から阿形像は運慶および快慶が、吽形像は定覚および湛慶が小仏師13人を率いて、わずか60日間で造立したものであることがわかりました。

 

これは寄木造りとよばれる建築様式によって造られたものであり、わずか2か月でそれを作り上げたのには当時の技術力の高さがうかがえます。

 

また創建当時には金剛力士像が向かい合って安置されていたことや、使われた木材は遠く山口県で伐採をされたものが使用されたことも判明しています。

 

『阿形像は快慶、吽形像は運慶が中心になって造った』とする従来の見解とは少し異なっていますが、運慶が金剛力士像の制作に当たって指揮を執っていたことには違いありません。


東大寺の金剛力士像のそのスケールとは・・・

東大寺

 

東大寺の金剛力士像の大きさは高さが8.4メートルに達する巨木な木像であり、右の吽形像は口を閉じた像であり、左の阿形像は口を開いた像となっており、異なる表情がまた独特の厳かな雰囲気を物語ります。

 

実は東大寺の南大門の金剛力士像をより楽しむのであれば、夜のライトアップも実はひそかな人気を集めています。

 

ライトアップされることで、その厳めしい強面が一層引き立ち、東大寺を守り抜く信念の強ささえ感じる光景を味わうことができます。

 

また昼間とは異なる表情を楽しむことができるので、ぜひ昼と夜に足を運んでみればまた違った印象を楽しむことができることでしょう。


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