モト旅行会社勤務が語る!日本の世界遺産の楽しみ方

興福寺とは・・・

興福寺

 

興福寺は法相宗の大本山として知られ、その前身は飛鳥の「厩坂寺」であるというから少し意外な気がします。

 

710年、平城遷都の際に、藤原不比等が飛鳥にあった厩坂寺を移築したことがその前身にあたります。

 

実はさらに遡ると、天智天皇時代の「山階寺」が起源となり、山階寺は藤原鎌足の妻、鏡大王が病気平癒を祈願して669年に造営しました。

 

そのため興福寺は山階寺→厩坂寺→興福寺と2度名前を変えた歴史があり、平城遷都の際の710年に藤原不比等の移築計画によって「興福寺」と名付けられました。

 

藤原氏の隆盛とともに、奈良時代、平安時代に栄えていきましたが、戦国時代に入ってから徐々にその勢いは衰えていきました。

 

今回は興福寺伽藍の中でも、古都奈良の象徴ともいうべき五重塔についてご案内をしていきたいと思います。


興福寺の五重塔とは・・・

興福寺の五重塔

 

古都奈良を象徴する塔であり、これはお釈迦様の遺骨を納めるお墓でもあります。

 

730年に興福寺の造営した藤原不比等の娘である光明皇后が創建をしたことが五重塔のはじまりです。

 

その後5回にわたる災害と再建を繰り返し、1426年に再建され、創建当初の高さは約45mで、当時日本で最も高い塔であったといわれています。

 

現在では日本で二番前に高い五重塔でもあり、高さ50.1メートルあり、奈良時代の面影を堂々と後世に伝えています。


興福寺の五重塔と仏教界との親密な関係

興福寺の五重塔

 

初層は方三間で8.7メートルで、本瓦葺きの五重塔です。

 

初層の東に薬師浄土変、南に釈迦浄土変、西に阿弥陀浄土変、北に弥勒浄土変が安置され、また各層に水晶の小塔と垢浄光陀羅尼経を安置されて仏教界の象徴であることがこの安置からも理解ができます。

 

現在でも当時の時代を重んじて薬師三尊像、釈迦三尊像、阿弥陀三尊像、弥勒三尊像が安置される、その伝統を守り抜いています。


五重塔の楽しみ方・・・

 

興福寺の五重塔をよく観察してみると、軒の出が非常に豪快で深い印象で、これは奈良時代の特徴でもあります。

 

これは非常に大胆であり、奈良公園のどこからでもその力強いシンボルをみることができるのもこの五重塔の魅力でもあります。

 

また奈良公園の池に五重塔が線対称に映し出される光景はまさに神秘的であり、偶然か必然かその美しい光景は時代超えて人々に愛され魅了されています。

 

特に夕暮れ時にライトアップは五重塔が輝くすばらしい時間でもあります。

 

境内は散策が自由なので、空いた時間に自由の散策ができるのも興福寺の五重塔の魅力かもしれません。

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