モト旅行会社勤務が語る!日本の世界遺産の楽しみ方

奈良駅からすぐのところにある「ならまち」

ならまち

 

奈良駅の近くには昔の町並の面影をとどめる「ならまち」とよばれる、とても趣のある家やお店が軒を連ねている場所があります。

 

そしてその中の一角に、元興寺の極楽坊とよばれる場所があります。

 

奈良の世界遺産いえば、東大寺や春日大社を思い浮かべがちですが、少し静かな佇まいの元興寺の極楽坊もまた個性的で、味わい深い光景があります。

 

しかしながら寺院や仏閣通常大きな敷地の中にあったり、周囲には木があったりと自然の中に囲まれていることが多いと思いますが、なぜか元興寺は不思議と賑わいをみせる「ならまち」のポツンとあるのです。

 

これは元興寺の歴史的変遷を紐解いていると、なぜ「ならまち」の中に佇んでいるのかその答えがみえてきます。


元興寺のその歴史とは・・・

ならまち

 

 

元興寺は、飛鳥時代に蘇我馬子が建立し、飛鳥の地に建てた日本最古の仏教寺院である法興寺(飛鳥寺)を起源に持ち、平城京に移したのがそのはじまりとされています。

 

その後に奈良時代から平安時代中期にかけて発展をしていき、次第に伽藍を整えていきました。

 

当時の伽藍は、南大門を入るとすぐに中門があり、金堂、講堂、鐘楼、食堂が南から北へ一直線に並んでいたといいます。

 

中門は講堂と回廊で結ばれ、中に金堂が建っていました。

 

また東塔院や小塔院や僧坊などお配置されており、非常に元興寺は栄えていた時代でもありました。


衰えをみせていく元興寺

 

しかしながら平安時代の後期になると次第に勢力が衰えていき、室町時代の土一揆により主要伽藍のほとんどを焼失してしまいました。

 

その影響を受けて、東塔院は「元興寺観音堂」に、小塔院は「元興寺小塔院」に、そして僧房は「元興寺極楽坊」に、それぞれ単独の寺院として分裂していきました。

 

そして次第にここの三つのお寺以外の土地には、江戸時代になると次々と町家が建てられていきます。

 

するとかつて繁栄をみせていた「ならまち」の中にこの三つのお寺だけは点在して、周囲の「ならまち」にはどんどんと町家が開発されていきました。

江戸時代後期の火災

 

江戸時代末期の1859年には、元興寺創建当時のままの「元興寺観音堂」の観音堂と五重塔が火災で失われてしまい、現在は極楽坊の本堂と禅室、五重小塔のみが残っています。

 

そのため今「ならまち」でみることができるのはこれらのみとなってしまいましたが、それだからこそ周囲の町が変わりゆく中で、幾年もの歴史を歩んできた強さと「ならまち」の発展を見届けてきた優しさがある光景がそこにあるのかもしれません。

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