興福寺の歴史とは・・・
奈良の興福寺は世界遺産に登録をされていて、今ではその五重塔が奈良のシンボルとなっていますが、実はその歴史的変遷はさまざまありました。
今回はそんな興福寺の歴史的危機と、その危機を乗り越えてきた興福寺の歴史について考えてみたいと思います。
興福寺は創建以来たびたび火災にあってきましたが、中でももっとも印象的な事件が、南都焼討とよばれる事件です。
1181年に平清盛の命令を受けた平重衡ら平氏軍が、東大寺や興福寺など奈良の仏教寺院を焼き討ちにした事件のことをさします。
これは平氏の政権に反抗的な態度を取り続けるこれらの奈良の寺院の勢力に対する征伐を目的としたもので、治承・寿永の乱と呼ばれる一連の源平合戦の最中に行われたものであります。
この焼き討ちの後、再建に向けて動き出したのが、信円と解脱上人貞慶です。
現存の興福寺の建物はすべてこの火災以後のものであり、そのため現存しているものはこの火災以後の鎌倉時代の復興に向けた時代に造られたものです。
興福寺のさらなる危機とは
鎌倉時代に復興を果たし、ようやく落ち着きを取り戻した興福寺ですが、江戸時代になると廃仏毀釈による破壊活動が進められるようになり、興福寺もその例外ではありませんでした。
廃仏毀釈とは、明治初年の神仏分離と神道国教化 政策のもとでの寺院,仏像,仏具などの破壊活動のことをさします。
春日大社と一体の信仰が行われていた興福寺は、境内は塀が取り壊され、木々が植えられて、奈良公園の一部となってしまいました。
そして一時は興福寺は五重塔や三重塔も処分される予定であったが、五重塔は買い手が見つかりました。
しかしながら、買い手は塔は焼いて、五重塔内部の金物だけを取り出そうとしたそうなのですが、周辺住民の反対にあいその計画は取りやめられました。
また住民たちの中には興福寺の五重塔を残しておいた方が、観光地として栄えその恩恵を受けることができるとの意見もあり、興福寺は危機を乗り越えなんとか江戸時代を生き延びることができました。
興福寺を保護する時代へ・・・
廃仏政策がようやく緩和されるようになり、明治時代の半ばには興福寺の再興が許可され、明治30年には「古社寺保存法」が公布され、興福寺も少しずつ復興に向けて修理がはじまりました。
しかしながら奈良公園の中に興福寺があるのを少し疑問に思われる方もいるかもしれませんが、これは廃仏毀釈の名残りでもあります。
それでも世界遺産に登録をされて、今ではにぎわいをみせる奈良公園の中にたたずむ興福寺は、アクセスもしやすく、いつでもたくさんの人がその五重塔に顔を見上げているのにはとても印象的です。
興福寺はたくさんの危機を乗り越えてきたその生命力さえ感じるものです。
それだからこそ、中から生み出すその魅力も、興福寺の魅力であるに違いありません。
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