唐招提寺とは・・・
奈良の世界遺産に登録をされている唐招提寺は、南都六宗の一つである律宗の総本山です。
数々の苦難を乗り越えて、来日を果たした唐の高僧鑑真によって建立されました。
今回はそんな唐の高僧鑑真の来日と唐招提寺について考えてみたいと思います。
唐招提寺は、唐の高僧鑑真によって759年に建てられました。鑑真はもともとは中国の揚州大明寺の僧でした。
しかしながら741年に55歳のときにその戒律を伝えるべく、日本への来日を決意しました。
しかしながら、5回の渡航に失敗し両目を失明しながらも、6回目にしてようやく日本の地に辿り着くことができ、その熱意にはなんとも感銘をうけるものです。
そして754年に無事に奈良に到着をします。
鑑真の来日・・・
多くの苦難を乗り越えて、来日を果たした鑑真は、東大寺で5年を過ごして東大寺に戒壇を設けます。
そして聖武天皇以下400余人に戒律を授けて、新田部親王の旧宅地を下賜されてたてたのがここ唐招提寺にあたります。
759年の天平宝字3年に、戒律を学ぶ人たちのための修行の道場として開かれました。
当初、「唐律招提」といわれ、それほど整備もされていなかったことから講堂や新田部親王の旧宅を改造した経蔵、宝蔵などがあるだけのとてもシンプルな造りでした。
しかし鑑真を支持する人たちから宿舎などが寄贈され、本尊を安置する仮金堂などが建てられました。
平安時代初頭に伽藍全体が完成し、そのころ「唐律招堤」から「唐招提寺」となりました。
そして奈良時代の終わりの鑑真の死後、金堂が建立され、810年に五重塔も建てられて唐招提寺は伽藍が整いはじめます。
この金堂は世紀後半、鑑真和上の弟子の一人であった如宝の尽力により、完成したといわれています。
現在では、奈良時代建立の金堂、講堂が天平文化を現代へと伝える貴重な伽藍となっており、多くの人を魅了しています。
唐招提寺の歴史的変遷
唐招提寺は奈良時代に伽藍が整えられたもの、平安時代の末期には一時期かなりさびれたようですが、鎌倉時代に入って講堂が修理されるなど復興へ道を果たしましたが、1802年には火災によって五重塔が焼失した記録が残されています。
そして現在では世界遺産に『古都奈良の文化財』の一部として登録がされ、鑑真は井上靖の小説「天平の甍」という小説でも知られる高僧となりました。
たくさんの苦難を乗り越えてきた鑑真が千年以上も前にもたらした戒律は、きっと私たちの今にも通じるものがあるに違いありません。
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